Monday, March 30, 2009

What is sin?/罪って悪いことをすることなの?

[what is real sin? doing bad things?]

What is a definition of “SIN”? 罪って一体どういうこと?



「Real sin is obviously not of “doing bad things” but rather of “its status of being sinful"


 E.g. If I reject God’ love, would that action be determined as sin in me? Yes, it would be.  But heed this truth, more importantly the core of sin is its status in me itself which allows myself to resist to, to ignore, and not to acknowledge God’s love.  Then whatever bad results will come out of bad status in me. 

   

        If we want to remove bad actions in us against God, first solve our sinful nature with full of truth; love of God pouring out into our thirsty hearts, then the roots which could not help but letting us commit sins will disappear naturally.  Resolve the status of being sinful then bad activities will be automatically gone.   


        Be filled with His love first then Love others the same as God has been doing upon you. 

        “God’s love is the greatest medicine of broken hearts”


 罪の根本の定義は、そもそも犯した”罪(原語で:的外が外れていること)”が、問題なのでなく、さらに奥深く心にある、”罪を犯すことを選び取ってしまう”的外れでいるその状態、そのもの”が究極的に”罪=神の本質(完全な愛ときよさ)から”まと”がはずれていること。

 

 

「罪がそんなにも君を苦しめてるのに、なぜ、まだ”自由”だと思っているんだい?」



 E.g.愛されたことがない子がタバコを吸うとき、人はタバコを止めろしきりに言っても、その子はその注意によって、また知的納得によってタバコを止めることはほとんどないでしょう。でももしその子の究極的な問題(根)が解決されるのであれば、その子がたくさんの愛情を実際に受け、体験し、癒されるなら、タバコはもう自動的に要らなくなるのです。(それがどんなものであれ) 


 もし”全くの条件なしで”その人の魂が、神の愛で愛されるとき、(人が本来造られた性質ゆえに)その魂は癒されていってしまいます。神の愛から離れて出ていた、必要のなかった行為(悪習慣など)は、本物(神の愛)がその人の心を満たしたとき、その人は偽の満足をもう欲しくなくなります。



「この世(罪の性質から抜け出せない僕ら)をこよなく愛された神は、人の罪をどうやって取り除くかに、歴史の焦点を置かれた。たった一つだけ方法が残されてあった....」

[それは、もっとも大切なご自分(父なる神)の一人息子(天地とそこにある全てを造られたイエス)を、神の本質(愛)を知らない人に差し出すことでした。]

「僕らの罪の性質は、みごとにイエスをバカ者と呼び、憎み、傷つけ、殺してしまいました。」

 父なる神と子なる神:イエスはこの世(僕ら)に彼がおおよそできるであろう渾身の愛を示されました。あとにもさきにも、神ができる、これ以上にまさって人に愛を示すことのできる方法はどこにも存在しなかったのです。

 「これで世は、人は、私の愛に気付いてくれるはずだ。私のすべてで彼らを愛したのだから。きっと分かってもらえる、私がどれだけ彼らを愛しておられるのかを」 
 
 全ては僕らが罪の性質(神から離れている状態)にもはや生きるのでなく、神の愛に気付き、神の愛に打ちのめされ、神の性質(神の愛)の中に、生きるよになるためでした。
 
 そう、来週は僕らの大好きなイエスさまの苦しめられた記念の一週間がやってきます。 
 僕らの魂(頭でなく)は本当に知るでしょうか、なぜ彼が人に傷つけられるままになられたのかを...

 僕らの心は、本当に気付くでしょうか?イエスは何を、僕らに知ってもらいたかったのかを...
 
 イエスさまは僕らに「本当の愛」を教えてくれた。
人を分け隔てしてはいけないことを。

無条件で敵さえも愛すること。

僕らは今、もう一度、イエスさまに問いたい。「主よ。なぜ.......なぜこんなわたしに、心で接してくださるのですか?」(マグダラのマリヤ)

僕らも、そうだ、僕らも本当は、イエスのようになりたいんだ。心で他者と接っし、彼らがイエスの愛を、僕らを通して体験するように。イエスの愛を受け続けている僕らなら、それができる。


No comments: