Sunday, October 10, 2010

「 ルワンダの涙」"Shooting dogs"

「 ルワンダの涙」英語名"Shooting dogs" をみました。


1994年に起こったこのジェノサイド(大量虐殺)町ではルワン ダの20%未満のツチ族を根絶しようと、虐殺があちらこちらで起こっている。フツ族はツチ族を忌み嫌い、彼らを「コックローチ」と呼んだ。ツチを殺さない いくじなしのフツ人もツチ人と同様にみられた。実際に皆の前でツチ人を殺した時、フツ人は、他のフツ人の仲間とみなされた。




国連軍がある小学校を軍の本拠地にするなか、25000人以上のツチ族の人が逃げ込んできた。その中で30年以上も彼らとともに過ごす白人の神父がいた。そして白人の小学校の教師も。






フツ人たちは、まるでゲームでもするように競い合ってツチ人たちをナタで、なんどもぶったたいて殺していた。人が狂った場合こんなにもサタン的になるのかと、身の毛がよだつ。あまりにも簡単に人の命を奪うので、彼らは本当に人の皮を被ったサタンに違いなかった。


最 後まで、子ども達を愛し、心を合わせてきた若い白人教師はついに、最後に国連軍が撤退する時に、自分も一緒に脱出していった。涙を流す教え子達の目の前 で。国連軍が離れた後、残された現地の数万の人々、子ども達はナタで皆殺しになることは明白だった。そして国連軍が去った直後、実際にそうなった。


白人神父は人々と残ることを選んで、殺された。




国連軍(イタリア、フランス、イギリス、アメリカを代表に)は、虐殺を十分に助ける力があったが、たくさんの理由をつけて助けないことを選択した。そしてルワンダには80〜100万の死体が残された。 








「ルワンダの涙」を見終わった時、人はこんなにも罪深いのかと本当に思った。憎む者、虐殺する者、暴行する者、略奪する者、見捨てる者、すべて人の罪(自己中心)から来ている。聖書は、人は人の力によって、この罪の性質から、罪の強制力から誰も逃れられないと。


あの神父さん、彼が現地の人たちと共に殺されることを選んだ理由は?
神が愛であることを、この神父さんはルワンダの人々に30年間ずっと教えてきた。


神父さんがいった言葉に、僕はとても深く考えさせられている。「彼らは、神はどこにいるのかと聞く。でも私にははっきりと分かる。神はまさにここに、この苦しんでいる人々と共にいて、一緒に苦しんでおられるのだ。


今までにないほど私は神の愛を彼らの中に強く感じる。もし私が彼らを見捨てて、ここを去るのなら、私は二度と神の愛が分からなくなるだろう。」そしてこの神父は銃殺される、野蛮な民兵によって。




       




僕が白人で、このツチの人々の中にいたならどのような選択をしただろう。国連軍と共に去った?留まっただろうか?


本 当に大切なことは、どんな状況の中でも「神の愛」が不変であることを示し続けること。あの神父さんは殺されてしまった。でも大勢の一緒にいた人が、神の愛 をこの神父さんを通して実際に目撃することができた。こんな奇蹟をいったい、あのイエスの他に誰が示すことがこの地上でできるのだろう。




まさに、神父さんの選択は、あのイエスが十字架に無抵抗ではりつけにされた時、多くの人が神の愛を歴史上初めて目撃した情景にそっくりだ。あの神父さんの取った行動は、多くの人の記憶から忘れ去られないだろう。僕もその1人。


ルワンダの大虐殺の中にも小さなイエスが確かにいたとは。自分の事ばかりを考えている大勢の人の不潔な罪の中に、神父さんの中の神の愛がひときわ輝いている。僕らはそれを確かに見るだろうか。








僕らは小さなイエスになりたい。少なくとも神はそうなってほしいと僕らに願っておられる。神が愛であることを世界に示しにいきたい。そして世界とは、僕の毎日の生活圏内を示しているとおもう。


「神の愛」、それは不思議なもの。説明されてもよく分からない、示された時だけ、初めて心で分かるもの。


「ルワンダの涙」をみて思った。やはり「神は愛である」と。神は、僕らが毎日言葉と行いを正しく選択することによって、ご自分が「愛」であることを示してほしいと願われている。




神様、今日、そのように生きることができますように、僕らを助けて下さい。

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